2012年10月24日水曜日

第2回Sapientia会研究会

  去る10月13日(土)、第2回Sapientia会研究会が開催されました。文学研究科史学専攻、グローバル・スタディーズ研究科国際関係論専攻・地域研究専攻、 それぞれの所属学生合わせて11名と前回より少ない参加者となりましたが、第1回に比べて活発な意見の交換が為され、少しづつ合同での研究会にも板に付いてきました。 以下に報告の要旨と、質疑応答の様子を紹介します。


「山座円次郎の対中政策に関する一考察 ―大陸政策の知られざる開拓者―」
 横貝康央(グローバル・スタディーズ研究科国際関係論専攻博士前期課程)

  横貝氏の本報告における目的は、山座の対中政策、主に新政府承認問題をめぐる政策を分析することで、転換期の対中政策を再考察することにあった。辛亥革命 期の日本外交を扱った先行研究はこれまでいくつかあったが、山座に関する研究はほとんどない。「山座の前に山座なく、山座の後に山座なし」と謳われた希代 の外交官は、いったい中国でどのような政策を実行したのか検討された。
 対中政策でイギリスとの協調が崩れていくさなか、山座に駐華公使としての白羽の矢が 立てられる。横貝氏は、『日本外交文書』や外交資料館の史料を用いることで、山座がどのように新政府承認問題に対応していったか考察し、従来指摘されてこ なかった点を明らかにしていきたいとした。 
 質疑応答では、新政府承認問題から対華二十一箇条要求に至る経緯について質問があった。これに対して横貝氏は、山座が国際協調を重視した一方で、山座の後任駐華公使である日置益が列国との協調を無視した点については研究がなされておらず、今後の研究課題としたいと述べた。


「在外カンボジア人コミュニティの日米間比較」
  村田紋菜(グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程)

在日カンボジア人コミュニティでの仏教行事「ボン・プカー」様子(報告者撮影)
 村田氏は第一回研究会で、在日カンボジア人の文化センター兼仏教寺院建設計画を中心に、彼らにとっての計画の機能を分析した。今回はそれをふまえ、在米カンボジア人と在日カンボジア人のコミュニティ比較を行った。
 「コミュニティの中心となる空間を持つ」という願望は、在住地域を問わず、在外カン ボジア人に共通してみられるものである。しかし、在米カンボジア人コミュニティでは、クメール・タウンの形成と名乗りがある一方、在日カンボジア人は、文 化センター兼仏教寺院の建設計画が存在するにとどまっている現状がある。村田氏は、この2つのコミュニティの比較分析結果として、計画中心人物の背景や、 計画実行団体組織化の有無といった点が日米カンボジアコミュニティ間の大きな差であると述べた。
 質疑応答では、在日カンボジア人と他の在日外国人との違いや定住先決定要因についての質問があり、また在外カンボジア人としての視点だけではなく、在日外国人として在日カンボジア人を捉える重要性などが指摘された。


「ボボリ庭園グロッタ・グランデ、マニエリスム庭園の一例として」
 櫻井麻美(文学研究科史学専攻博士前期課程)

ボボリ庭園グロッタ・グランデ:第一の部屋(失われた楽園の部屋)(報告者撮影)
 櫻井氏はマニエリスム庭園を対象として、16世紀の精神が庭園という半公的半私的空間でいかに表現され、また社会的にどのように受容されていったのかということを研究テーマとしている。
今回の発表では写真を多数用いながら概説的なマニエリスム庭園の解説を行ない、具体例 としてマニエリスム庭園を代表するボボリ庭園のグロッタ・グランデが取り上げられた。ギリシア神話は西洋の庭園に繰り返し登場するモチーフであるが、ボボ リ庭園のグロッタで意図されたのは純粋なギリシア神話の再現ではなく、発注主フランチェスコ・デ・メディチ(Francescode’ Medici)の趣味―錬金術、新プラトン主義、自然科学など―を体現するための舞台としての機能であるとの説が述べられた。
 質疑応答では、庭園に込められた思想は実際に庭園を訪れる同時代の人びとが共通して理解しうるものだったのか、このような寓意表現を内包する庭園は他地域にも見られるのか、マニエリスム期の庭園とキリスト教の関係はどのように説明できるか、などの点が指摘された。

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