2013年7月30日火曜日

2013年度第1回Sapientia会研究会


7月20日(土)、2013年度第1回(通算3回目)のSapientia会研究会が開催され、参加者は13名、史学専攻の院生が2名発表しました。また、今回新たに参加していただいた地球環境学研究科の方々からは、他専攻ならではの鋭いご指摘があり、研究会は大いに盛り上がりを見せました。以下に報告の要旨と、質疑応答の様子を紹介します。


「デンマークのキリスト教化――宣教師の足跡からデンマークの『自立』へ」

石川柊(文学研究科史学専攻博士前期課程)


一体いつからデンマークはヨーロッパの一員となったのか。石川氏の報告は、そのような疑問から出発し、「ヨーロッパ」の重要な文化的要素であったキリスト教に焦点を絞ることによって、中世のデンマーク世界がどのようにキリスト教を受容し、ヨーロッパのキリスト教国家として自他ともに認識するに至ったかを概観した。

 デンマークという地域は、9世紀以降、限られた宣教者のみがその地に足を踏み入れて宣教を行った。しかしこれはあまり効果をもたらさず、10世紀後半に強固な王権が成立することによって、はじめて上からの改宗事業が展開していくことになる。以後、宣教者の任を得ていたハンブルク大司教座と対立しながら、デンマークは独自の大司教座を設立するなど、自立したキリスト教国家として歩みを進めていくことになると述べた。
 石川氏の報告は卒業論文をベースに構成されているが、多様な専攻の方が出席している状況を考慮して、対象時代を長く設定して流れをわかりやすく追えるように、またヴァイキングやルーン石碑といった、色々なトピックを用意するなどの工夫を行った。だがなじみの薄い分野ということもあり、前提となる説明がさらに必要だったようである。
 質疑応答では、デンマークに独自の大司教座が設立されたことが、デンマークの自立に直結するのかといった「自立」の概念上の問題、またデンマークを語ることがスカンディナヴィアを語ることになるのかといったテーマの射程の問題が挙げられた。また「ヴァイキング」という集団の性格、およびデンマーク社会を構成する大多数の人々の信仰状況についての質問も提示された。これらは北欧中世史にとって非常に高度な難問であるが、目を背けることのできない課題でもある。


 「ヴィルヘルム期ドイツにおける『過激な』ナショナリズム――全ドイツ連盟を中心に」

     稲生俊輔(文学研究科史学専攻博士前期課程)


ドイツの近代史研究において、第二帝政期の社会と第一次世界大戦、ひいてはナチス政権との連続性を巡る議論は1960年代のフィッシャー論争以来の一大争点であり、その中で極端なナショナリズムを唱える政治団体の存在はつねに一定の役割を与えられてきた。だがそれは、こうした団体を表面的な階級利害の代表としての理解に矮小化してしまった嫌いもあり、近年はその修正が徐々に進みつつある。
 稲生氏の報告では、第二帝政期から第一次世界大戦にかけての、大衆扇動的かつ過激なナショナリズム団体の代表とされる全ドイツ連盟(Alldeutscher Verband)が研究対象として取り上げられた。その思想的特徴や具体的な活動内容に触れたのち、稲生氏はヴィルヘルム期における連盟の意義として、ドイツ国外に住むドイツ系住民のドイツ性保持の問題を挙げる。そしてその具体例として、連盟機関紙Alldeutscher Blätter 上に見える連盟の海外への関心の高さや、南米でのドイツ系移民の手による連盟支部の多さなどが示された。このような連盟の国際的な性格が見落とされるべきではないという稲生氏の主張は、従来の国内政策に優越的な連盟像に対して、一定の反論を加えるものであろう。
 質疑応答では、国外の連盟支部に加わった人々はどのようにドイツ性を保持しようとしたのか、また全ドイツ主義の持つ反分権主義について何らかの反発はなかったのか、といった点が指摘された。

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